こんにちは、そして初めての方は初めまして。

 大泉洋さん主演の「探偵はBARにいる2」の原作となった東直己さんの「探偵はひとりぼっち」の内容が非常に自分の心をえぐる内容だったので、今回はそのことをつらつらと書いていこうと思います。

 映画が公開されたのも十年近く前で、ネタバレなんて気にするような作品じゃないと思いますが、一応ネタバレに注意してご覧ください。

「探偵はひとりぼっち」の概要 犯人のメンタルは過去の僕そのものだった

 前述のように「探偵はひとりぼっち」は大泉洋さん主演の「探偵はBARにいる2」の原作となった小説ですが、共通点といえば「主人公である探偵の親友だったオカマのマサコちゃんが殺される」ことと「マサコちゃんを殺した犯人」という点くらいなもので、あとはほぼ別物のような展開になってます。映画は2009年頃が舞台ですが原作は80年台前半から中頃が舞台なのでそもそもそのままやるには色々無理があるのですが。

 何度か命の危険に晒されながらも、探偵は犯人を突き止めるのですが、犯人がマサコちゃんを殺害した動機は、マジックの大会で優勝し、ススキノの人気者になっていたマサコちゃんへの嫉妬でした。

「真面目に頑張って生きてる俺が毎日苦しい思いをして生きてるのに、気持ち悪いオカマがくだらない手品でテレビに出てちやほやされてるのが許せねえ」と犯人は主張しますが、探偵はそんな犯人のことを「あいつは頑張ってなんかいないんだぜ、全然」と一蹴します。

「あいつは女房を場末のピンサロで働かせて、自分じゃ金を一銭も家にいれないでふらふら遊んでる奴だ。競輪とゲーム機のポーカーにハマってるってウワサだ。客引きの仕事だってまともにやってない。酒を呑んじゃ、女房や子供を殴りつけてる、と仲間が話してた。生きる上での努力をなにもしない、そのクセ、本で読んだ適当なことを知ったかぶりして話すのが好き、そういう男だ」と、探偵は犯人のことを評しましたが……これ、まんまかっての僕に当てはまることだったんですよね。

 就職して初めて社会人になった頃、僕は自分のことを「誰よりも勤勉で真面目で、評価されて然るべき正しい人間」と明らかに過大評価していて「自分はこんな仕事で終わる人間じゃない! いつか夢を叶えてビッグな人間になってやるぜ!」と甚だしい勘違いをしておりました。

 ですが社会人になったばかりのガキにそんな大層な仕事などできる筈もなく、最初の頃は上司や先輩から怒られてばかりで、本来はそうして失敗したら自分の間違いを正し、成長していけるように努力していかなければならないのですが、自分のことを過大評価していた僕は「俺はこんなに頑張ってるのになんで俺を評価してくれないんだ!」とふて腐れるばかりで、実際に評価してもらうのに必要な努力などロクにしておらず、自分の仕事にはまるで生かせないようなビジネス書を読み漁ってはその内容を得意げに語って周りから白い目で見られ、そんなことで努力した「つもり」になっているような人間でした。

 そんな間違った努力ごっこをしているうちに、意識高い系と中二病が合わさったような人間になってしまった僕はなんの技術も身についていないのに自分のことを仕事のできる人間と勘違いするようになり、生意気にも先輩や上司に噛みついたりしているうちに、誰からも相手にされなくなってしまいました。

 まさに生きる上での努力をなにもしていないクズ、それがかっての僕だったので、この探偵の言葉には結構心を抉られました。

休みなく働いても、それだけでは努力とはいえない

 では今の僕は努力ができる人間になれたのかというと正直かなり怪しく、誘惑に負けてやらなきゃならないことを先延ばしにしてしまったりなんてことがよくあります。

 生きる上での努力というのは思ったより難しいですが、実は生きる上での努力だけでは足りないのかなあと、考えることがあります。

 村上春樹さんの「ノルウェイの森」では、努力についてこのようなやり取りがありました

「だからね、ときどき俺は世間を見まわして本当にうんざりするんだ。
どうしてこいつらは努力というものをしないんだろう、
努力もせずに不平ばかり言うんだろうってね」

僕はあきれて永沢さんの顔を眺めた。
「僕の目から見れば世の中の人々はずいぶんあくせくと身を粉にして
働いているような印象を受けるんですが、僕の見方は間違っているんでしょうか?」

「あれは努力じゃなくてただの労働だ」と永沢さんは簡単に言った。
「俺の言う努力というのはそういうのじゃない。
努力というのはもっと主体的に目的的になされるもののことだ」

 主人公の友人の永沢さんはこのように努力をバッサリ一蹴していますが、この言葉に僕はドキリとしました。

 過去に借金と低収入が原因で金銭苦に陥ってた頃、僕は平日の本業に加え夜間のバイトをしたり、土日もバイトにあてたりして少しでもお金を稼いで金銭苦を抜け出そうとしており「休みもなく働くことこそ努力の証」と考え、そんな自分に酔っていました。

 しかし、本当に生活に苦しんでいるなら、そもそも収入が不安定な非正規社員から正社員になるなど根本的に現状を解決する為の努力を(本当に解決できるかは別として)するべきだったのに、そうした根本的な問題解決を先送りして、休みの日にバイトをしてその場をしのぐという、ある意味頭を使わなくてすむ楽なやり方に逃げておきながら、そんな自分を頑張っていると正当化していたのは、今となっては勘違いも甚だしかったとしか言いようがありません。

 一応現在までに借金自体はほぼなくなったので完全に無駄だったとは思いませんし、何もしないよりはマシだったとは思いますが、ただの労働を努力とはき違えてそれだけで満足してはいけないという、永沢さんの言葉は正しかったのですね。

生きる為だけでなく、その先の主体的な努力へ

 今のご時世は生きていくだけでも大変な世の中です。

 今の仕事は非正規ながら幸いにもコロナによるダメージは今のところ受けておらず、なんとか食うに困らない程度の収入と蓄えは確保できていますが、これまでは本当に運が良いだけで、この先はどうなってしまうかわかりませんし、正社員への転職もかなり厳しいだろうなあと思っています。

 それ故に今後はただ労働時間を増やすだけではない、主体的な努力をして活路を開いていく必要があるのですが、今までサボってた奴が一朝一夕で努力できる人間になれるワケもないので、まー難しいです。

 結果に繋がるかはわかりませんが、ブログの更新や、最近始めたプログラミングの勉強は、ロースペースでも続けていきたい次第です。

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