
こんばんは、そして初めての人ははじめまして。
鬼滅の刃が、今週号のジャンプで無事に完結しましたね。
僕は終盤も終盤から読み始めましたけど、人気絶頂の中、引き延ばしなどもなく完結したことに驚いてしまいました。
良くも悪くもジャンプの歴史に燦然と輝く怪作になったのは間違いないと思います。
今回はそんな鬼滅の刃における、鬼無辻無惨の最強の配下である鬼、上弦の壱・黒死牟の活躍から、「執着することの見苦しさ」について書いていこうと思います。
黒死牟の過去、継国厳勝と継国縁壱
黒死牟は人間だった頃は継国厳勝という名で、鬼殺隊に「日の呼吸」を伝えた始まりの剣士である、継国縁壱の双子の兄でした。
厳勝が生きていた戦国時代には双子は不吉として忌み嫌われており、生まれながら額に不可思議な痣を持った縁壱は、跡取りとしての地位を約束された厳勝に対し、粗末な着物を着せられ、狭い部屋に追いこまれて暮らしており、厳勝はそんな縁壱を憐み、表面上は優しく接しつつも、感情の起伏に乏しく、常に母から離れようとしない縁壱を内心では気味悪がり、見下していました。

ところが縁壱は卓越した剣士のみに発現する痣を生まれながらにして持ち、常人を遥かに超える剣技をもった神童でして、その実力は初めて刀を持った時点で兄である厳勝を遥かに超えており、そして母から離れようとしなかったのも母に甘えていたからではなく、半身が動かないほどの病を患っていた母を献身的に支えていたからだったのです。
内心で見下していた縁壱が自分よりもずっと優れた存在だったことを知り、厳勝は自分の立場が脅かされる恐怖と縁壱に対する激しい嫉妬を抱くのですが、剣術に興味を持たない縁壱は忽然と厳勝の前から姿を消し、大人になった厳勝は家を継ぎ、妻子に恵まれるもどこか退屈な日々を過ごしていました、
そんな厳勝の運命は、人喰い鬼に襲われていたところを成長した縁壱に救われたことにより、大きく狂い始めてしまうのです。
縁壱の圧倒的な力に心を奪われ、自身もその力を欲して家も妻子も捨てて鬼殺の剣士となった厳勝は、剣士としての実力を開花させ、縁壱の「日の呼吸」を元に「月の呼吸」という独自の呼吸を生み出し、縁壱と同じ痣を発現させるまでに至るのですが、どうやっても縁壱の実力には届かず、自分の技を継承してくれる人間も現れないことへの苛立ち、そして痣を発現させればその代償として、長くても二十五歳程度までしか生きられないという事実を知ってしまい、縁壱に追いつく為の鍛錬を重ねる時間も自分には残されていないという現実に心を蝕まれていきました。
そんなとき厳勝の前に「鬼殺の剣士を鬼にしたい」という目的を持っていた鬼無辻無惨が現れ、自分に未来がないことに絶望していた厳勝は無惨の誘惑に乗り、人間を捨てて人喰い鬼の黒死牟となることを選び、不死身の身体と無限の寿命を得たことで己を蝕む苦しみから解放されたのですが、それから約六十年後、痣を発現させたことで本来ならとっくに死んでいる筈の縁壱が、再び黒死牟の前に姿を現したのです。
皺だらけの老人となりながらも縁壱の実力は全く衰えておらず、黒死牟は手も足も出ないまま、あと一撃を受ければ急所である頚を切り落とされるまで追い詰められてしまいますが、黒死牟が死を覚悟した瞬間、縁壱は老衰により、刀を構えたまま息絶えておりました。
最後まで覆しようのない実力差を見せつけたまま逝った縁壱に対し、黒死牟は行き場のない怒りをぶつけるように縁壱の遺骸を切り捨てますが、縁壱の亡骸が落としたのものは、幼い頃に厳勝が縁壱にあげた、音もまともに鳴らないガラクタ同然の笛だったのです。

自分にとってはガラクタ同然だったおもちゃの笛を、縁壱が子供の頃から死ぬまで大事に持ち続けていた事実を前に、黒死牟は涙を流すのでした。
執着し続けた黒死牟の末路
鬼殺隊との最終決戦で黒死牟は急所である頚を切り落とされたのにも関わらず、強さへの執念で首を再生させるという驚異の執念を見せたのですが、太陽以外の弱点を克服したかに見えた黒死牟が見たのは、醜く変貌した己の姿でした。

侍の姿か?
これが…これが本当に俺の望みだったのか?
かって目指していた侍の姿とはあまりにもかけ離れたその姿に動揺した瞬間、黒死牟の身体が傷を受けた個所から崩れ出し、血鬼術も使えず再生もできないまま、黒死牟の身体は鬼殺隊の攻撃で崩壊していきます。

首を落とされ、体を刻まれ、潰され、負けを認めぬ醜さ
生き恥
こんなことの為に私は何百年も生きてきたのか?
負けたくなかったのか? 醜い化け物になっても
強くなりたかったのか? 人を喰らっても
死にたくなかったのか? こんな惨めな生き物に成り下がってまで
違う、私は、私はただ
縁壱、お前になりたかったのだ
縁壱に嫉妬し、憎んでおきながら、自分自身が縁壱になりたかったという事実に気づきながら消滅していく黒死牟。
手の届かない力を目の当たりにし、執着し続けた男は、家も妻子も捨て、人間であることを捨て、自分の子孫である鬼殺隊の剣士も斬り捨て、侍であることも捨てたのに、縁壱と同じ場所に辿り着くこともできず、後世になにも残せないまま地獄に落ちていくのでした。
執着は見苦しく、何も残せないことは途轍もなく恐ろしい
なんの為に生まれたのかわからないまま死んでしまうなんてまるでアンパンマンの主題歌のようですが、 時代を考えれば黒死牟は十分恵まれた人生を歩めた筈なのに、手の届かない、人間の域を超えた縁壱の力に執着してしまったばかりに四百年近く逃れられないジレンマに苦しめられ、なにも得られず、なにも残せなかったその姿は、自業自得とはいえなんとも哀れでした。
人間は誰しも大なり小なり執着は持っているものでしょうが、本当に執着したものを手に入れられる人、そして後世になにかを残さるような人は実際はそんないないんじゃないかと考えると、黒死牟はある意味とても人間臭い末路を迎えたキャラだったと言えるのではないでしょうか。
僕は果たしてこの先の人生でなにかを残せるのかと、黒死牟の最期を見て漠然とした不安を感じています。結婚して子供を残せればとりあえずはなにかを残したと言えるかもしれませんが、今の世の中では結婚も子供を持つことも容易じゃなくなっていますし、僕は正直どっちも手に入れられる気がしません。
幸せを得ることの難しさを痛感させられるお話でした。