鬼無辻無惨きぶつじむざんを打ち取るべく、鬼の根城である異空間・無限城に突入した鬼殺隊。  人喰い鬼と鬼殺隊の最終決戦が幕を開け、竈門炭治郎かまどたんじろう富岡義勇とみおかぎゆうの前に、鬼無辻配下の最強の鬼である十二鬼月の一角、上弦の参・猗窩座あかざが立ちはだかる。

 過去に炭治郎の恩人ともいうべき鬼殺の戦士、煉獄杏寿郎れんごくきょうじゅろうの命を奪った猗窩座は、弱い者を忌み嫌い、強い者との戦いで己の強さを極めて更なる高みへ到達することを至上とする武闘狂であり、炭治郎と義勇はボロボロになりながらも必死に食らいつき、鬼の急所である頚を切り落とすことに成功した。  勝負はついたと思われたが、猗窩座は強さを求める恐ろしいまでの執念で急所だった頚を再生させ、尚も炭治郎と義勇に襲いかかる。

 その時猗窩座は、とうの昔に忘れ去っていた過去の記憶……弱い者だった自分の過去を思い出す。

武闘狂、猗窩座の過去

 時は江戸時代、まだ人間だった頃の猗窩座は狛治という名前で、病に伏せた父を看病する金を得る為、スリなどの犯罪に何度も手を染めていた。

 何度も捕まり罰を受けても狛治は諦めようとしなかったが、狛治の父は自分の為に息子が罪を重ねることに耐えられず「真っ当に生きろ、迷惑をかけて申し訳なかった」という遺言を残して自殺してしまう。

 貧乏人は生きることさえ許されない現実に絶望し、江戸の町を追放されて怒りの感情のままに暴れ回っていた狛治だが、慶蔵けいぞうという武闘家に叩きのめされたことで成り行きで慶蔵の道場に転がりこむことになり、病弱だった慶蔵の娘の恋雪こゆきの看病を任せられる。

 父の世話で病人の看病に慣れていた狛治には恋雪の看病も苦にならず、恋雪はいつも寄り添ってくれる狛治の優しさに惹かれていき、狛治もまた、慶蔵から教わった武術の稽古に励み、恋雪と過ごす日々に喜びを感じていた。

 数年が経ち、慶蔵は自身の道場を狛治に継がせることを提案し、恋雪は狛治への想いを打ち明け、狛治もそれを受け入れた。

 父の遺言通り真っ当な生き方ができるようになった喜びを噛み締め、狛治は父の墓に祝言を上げることを報告するが、狛治が留守の間に、慶蔵を妬んだ隣の道場の門下生による凶行で、慶蔵と恋雪は殺されてしまう。

 父親に続き、またしても大切な人達を守れなかった狛治は絶望し、怒りのままに犯行を行った道場の門下生を、慶蔵から教わった拳で皆殺しにする。

 そして失意のまま町を彷徨っていた狛治は、偶然にも遭遇した無惨に鬼の血を与えられ、自分の名も、記憶も忘れて、猗窩座として生まれ変わったのだ。

猗窩座が最も憎んでいたもの

 

 過去を思い出してもどうすることもできず、猗窩座は尚も戦闘を続けようとするが、そんな猗窩座の手を、死んだ恋雪が止める。

 その瞬間に炭治郎ががむしゃらに繰り出した拳を受けた猗窩座は、かって自分を救ってくれた慶蔵の姿を思い出す。

 弱い奴が嫌いだ 弱い奴は正々堂々やり合わず、井戸に毒を入れる

 醜い

 弱い奴は辛抱が足りない

 すぐ自暴自棄になる

 ”守る拳”で人を殺した

 師範の大切な素流を血塗れにし

 親父の遺言も守れない

 そうだ、俺が殺したかったのは

 最も憎んでいたもの、それは大切なものを何一つ守れず、そんな過去から目を背け、強さを求めて殺戮を繰り返していた自分であることに気づいた猗窩座は、その拳を自らの首に叩きこんだ。

 もう再生することはなく、猗窩座の身体は崩壊し、その魂は父、慶蔵、そして恋雪と再び邂逅する。

 悲しき鬼だった猗窩座は、ようやく人間の狛治に戻ることができたのだ。

戦うべきは誰でもない、自分自身だ

 人間なら誰しも、過去に辛いことが大なり小なりある筈だし、その辛かった過去に苦しめられ、今の人生を上手く生きられない人もいるだろう。

 辛かった内容は人それぞれだし、自分には非のないことが原因で今も苦しんでいる人も当然いるだろう。

 ただ、果たして本当に、自分には一切非がなかったか、ということを、自分自身で振り返ってみることは重要だと思う。

 九割くらいどうにもならないことだったとしても、たった一割でも自分に非があれば、そのたった一割を繰り返してしまうことで、また苦しむことになってしまうかもしれないからだ。

 ならば、辛くてもその一割にしっかり向き合い、改善できる余地はないのか、しっかり対策を取る必要がある。

 僕は学生時代はカースト最下層の人間で、常に周りの人間から馬鹿にされていいようにオモチャにされていたし、社会人になってもずっとうだつが上がらない人間で、職場でいじめに近い扱いを受けていた時期もある。

 今でもその頃のことを思い出すと、悔しさで腸が煮えくりかえりそうになるときがある。

 ただ、その当時の僕は頭も要領も悪くて思慮が足りない、どうしようもない幼稚な人間で、身だしなみにもまるで気を使わない、いじめられて当然の、情けなくて弱い人間だった。

 そんな自分の弱さを棚に上げて一方的に他人や社会を憎んでも何一つ良いことなどなく、ただただ惨めなだけだということに最近になってようやく気づき始めた。

 そうして自分以外に落ち度を求めるのではなく、自分自身にある原因に目を向け、改善しようという意識を持つことで、本当に少しずつではあるが人生は良い方向に向かっていると感じる(もちろんまだまだ直さなければいけない問題は山積みだが)。

 僕達は過去の辛かったことに目を背けるのではなく、その辛かったことを隠れ蓑にしている弱い自分を見つけ出し、戦って倒さなければならない。

 猗窩座は一撃で弱い自分を殺すことができたが、普通の人間はそうはいかない。

 モグラ叩きのように何度叩いても顔を出す弱い自分に、何度も苦しめられるだろう。

 それでも僕達はいつか弱い自分に打ち勝つことを信じて、ひたすら拳を叩きこまなければならないのだ。

 

 

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